認知療法における質問で「誘導」することの是非(「純粋な質問」という代替案との兼ね合い)

認知行動療法や認知療法では、質問が重要な意味を持ちます。クライアント(以下の引用では書籍に忠実に「クライエント」としています)にどのような問いを投げかけるのか。それ次第でどのような方向にも話が展開し得ます。

クライアントに全てを委ねるのは、認知行動療法では、一般的に是とはされておらず、ある程度の介入と支援が求められます。

とはいえ、質問の際にどれだけの介入をすべきなのか、どれだけ導いていいのかとなると、そのラインがあまり明確に語られないことがほとんどです。ある種の「誘導」になってはいけないのか、それとも「誘導」すら立派な療法の一部なのか。

そんなことを思っていた矢先、面白い記述を見つけました。認知行動療法全般というよりは、少し対象を絞り「認知療法」についてになりますが『認知療法の問う力 ソクラテス的手法を使いこなす』という書籍の中で、こんな一節を目にしました。

第四章の「私は知っているという思い込みをなくすには」にこうあります。

質問する際には「純粋な質問」が重要だと言われています。セラピストが期待する回答を得るためにクライエントを誘導するような質問は、知識の否認からしても望ましくありません。

認知療法の問う力 ソクラテス的手法を使いこなす – p107

個人的な解釈ですが、上の考え方は、セッションの初期に当てはまることのように思えます。セッションがある程度進み「さて、これからどうしていきましょうか」という段階(気づきを促す段階)とはまた別の話であるように感じます。つまり、初期の状況を理解する(情報を収集する)段階では、特に、このような「純粋さ」に主眼を置いた態度が重要なのではないでしょうか。

ちなみにソクラテス的というのは、ソクラテスという哲人の問答のスタイルに言及したものです。プロタゴラスの相対主義により良い加減になった世の中(衆愚政治)の最中で、自分の無知に気づき、積極的に心理を探求することの重要性を説いた人物です。彼は、当時の雄弁な政治家に対して勇猛果敢に挑戦し、質問を繰り返すことで、見事に論破してみせました。ソクラテス等の主要な哲学界の人物については『史上最強の哲学入門』が非常に読みやすくておすすめです。

当然、認知療法(認知行動療法も同様)は論破を目的にしたものではありません。しかし、「その話のこの部分の辻褄が合っていないんじゃないのかな?」と問題提起をする術として、ソクラテスのような(ある意味でしつこい)質問が重要になるのではないでしょうか。

少し話が逸れましたが、認知療法は認知の歪みを取り除いたり、バランスのよい思考を獲得したりすることを目的としていますが、最初から「このクライアントには〇〇という方向一択でOK」と決めつけてセッションを進めるのは決して好ましいものではないでしょう。この一般的指針を自分に言い聞かせるという意味でも、今回の「純粋な質問をせよ」という旨のメッセージが私にとっての学びとなっています。

誤解を招かないように付け加えると、個人的には状況次第で、「純粋な質問」と「誘導としての質問(またはそれに近い方向性の問い)」を使い分ける力を育むことが重要だと感じています。少なくとも、「自分が今している質問には、どちらの性質が介在しているのか、またはどちら寄りなのか」といった自己分析をできる冷静さを手にできるように努力したいものです。

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